1 歴史的背景 東京の始まり

 

1-1 東京の起源

 
関東の東京に人が住み始めた歴史は非常に古く、多摩丘陵(現在の三鷹市)にある天文台構内遺跡や丸池遺跡からは2万年以前の黒曜石製石器が発掘されています。その頃にはすでに、現在の東京周辺には狩猟を糧とする日本人の祖先が存在していた事を物語っています。

1-2 古代時代

 
古代の文献である日本書紀には、534年に武蔵国で乱が起きた記録が残されています。また、中世の鎌倉幕府の時代には、武蔵国府(現在の府中市)は重要な拠点として存在していました。

1-3 近世時代

 
近世に入り戦国時代を経て、徳川家康が江戸幕府を開府して日本政治の中心地となりました。近世から近代に移り、明治維新とそれに続く首都遷都によって首都が東京に遷されました。

1-4 近代から現代へ

 
当時の東京は東京府とされており、昭和18年(1943年)東京府が廃止されて現在の東京都制となりました。

2 東京が大都市となり、成功した地位的条件

 

2-1 大都市を形成する為の広大な平野と台地が広がっていた

 
関東には、関東平野の広大な土地以外は山岳地帯に囲まれた場所が多くを占めています。都市を徐々に拡大させていくには、山や谷の無い平野が一番適しています。この関東平野の裾野が都市を形成するのに非常に役に立ちました。

2-2 水路や飲料水を活用する河川が揃っていた

 
大都市のインフラを支える河川は、都市に必要で重要な要素です。江戸時代には神田川の神田上水や多摩川による玉川上水などの上水道の整備が進められ、当時でも世界最大級の給水システムを発展させました。

2-3 物流の拠点としての東京湾が利便性を向上させていた

 
現代は飛行機、鉄道、トラック、海はタンカーなど様々な物流の移動方法がありますが、産業革命以前の物流移動手段は限られていました。大量の荷物を運ぶ際は、船を利用しての移動を重宝していました。

その結果、東京湾の様に船が接岸しやすく、港に大量の荷物を積み込みしやすい横浜や東京のような場所が物流にとって重要な拠点となりました。

3 伝統が息づく東京ならではの工芸品等

 
東京にはその風土と長い歴史の積み重ねから受け継がれた技術により創作された、価値の高い伝統工芸品があります。

その中から、何点かピックアップして、この場を借りて紹介したいと思います。

3-1 江戸切子(えどきりこ)

 
江戸切子はガラスの表面に様々な模様の切込みを入れて、綺麗なパターンを創り出すカットグラスの事を言います。非常に美しいグラスの形状と、反射された光の輝きがとても見事な工芸品です。

主な製造地としては、墨田区と江東区で全体の8割を占めるそうです。その他に江戸川区も含まれます。

3-2 東京染小紋(とうきょうそめこもん)

 
小紋とは室町時代に発祥し、江戸時代に発達した型染めの事を指します。その名の通り、細かい模様の柄を小紋染めと呼び、他に大紋型染めや中型染めがあります。

高い技術と経験によって裏打ちされた、とても繊細な文様は観る者を惹きつけ、日本ならではの文様柄は女性の着物の華としても親しまれています。

東京染小紋の主な生産地は、新宿区、世田谷区、練馬区等です。

3-3 江戸押絵羽子板(えどおしえはごいた)

 
江戸の風情が感じられる昔ながらの押絵を羽子板に取り付け、装飾を施したものを江戸押絵羽子板と呼ばれます。

元々は室町時代の前後から「描絵羽子板」かきえはごいた(絵を直接、板に描いたもの)、「貼絵羽子板」はりえはごいた(紙や布を板に張ったもの)、「左義長羽子板」さぎちょうはごいた(胡粉で彩色して、金箔や銀箔等を施した豪華なもの)がありました。

江戸時代には歌舞伎を巧みに取り入れた浮世絵師が多数活躍しましたが、一方で歌舞伎役者の似顔絵を貼り付けた「役者羽子板」が爆発的な人気を博しました。

江戸押絵羽子板の主な製造地は墨田区、江東区、葛飾区等です。

4 東京を表すダイナミックなスポット

 

4-1 東京スカイツリー

 

電波塔としては、堂々世界一位の高さを誇ります。東京スカイツリータウンと呼ばれる観光・商業施設と共に2012年に開業しました。

展望台は第1展望台、第2展望台が設置されており、第2展望台は高さ450mの大都市東京の街並みを遠くまで見渡す事が出来ます。

スカイツリーは江戸の心意気の「粋」と、美意識の「雅」の2種類のライティングを1日毎に交互にライトアップしています。ぜひ、現代に蘇った江戸ならではの色彩を楽しんでみて下さい。

4-2 皇居と東京駅

 

東京に千代田区には皇居があり、その真正面には東京駅が建っています。皇居は都心の中心地にありながら緑豊かな景観に恵まれ、散歩や観光コースに最適な場所です。

東京駅は戦後、長らく建て替え計画が先延ばしにされてきましたが、2012年10月に設立当時の姿に復元、見事に完成されました。

東京駅は東京ステーションホテルとして宿泊する事が出来ます。ホテルが掲げるテーマは「時代を超えて愛される、上質なひととき」

時代の変遷を見届けた歴史ある東京駅に宿泊する機会は、感慨もひと推しでしょう。

4-3 表参道と青山

 

この場所はファッション発祥の地であり、一流ブランド店やセレクトショップ、グルメ、アートなど今の東京の勢いを心から感じられる街です。

また一方で、一本通りを入ると比較的静かな環境のお洒落なお店が揃っています。近くには豊かな緑に恵まれた明治神宮外苑があり、銀杏並木は人々の憩いの場として親しまれています。

4-4 雷門の撮影スポットが有名な浅草寺

 

東京という超高層ビルに囲まれながらも、伝統の残る寺院と対比される街並みは、絵も言われぬ雰囲気を醸し出していて、まさに東京にしかない景観を形作っています。

撮影スポットしては「雷門」が有名ですが、日本で最も古い商店街の一つと言われている仲見世は、250mほどの距離があり、観るものを楽しませてくれます。

5 1964年と2020年の東京オリンピック比較

 
5-1 オリンピックの開催規模

1964年10月にアジア初のオリンピックを開催した当時の東京オリンピックの参加国・地域は93でした。当時のオリンピック委員会に登録していた国・地域にほぼ等しい数でしたが、現代は国際環境が変化して参加を表明する国は増加しました。

前回のリオ・オリンピックに参加した国・地域は206でしたので、1964年当時から単純に2倍程度の国別の規模になりそうです。

また、実際にオリンピック競技に参加した選手数は、1964年は5,152人とされています。2020年に予定されている参加選手数は約1万人ということですので、やはり前回から倍増しています。

5-2 経済規模から見た1964年と2020年

経済指標から比較した場合、様々な面白い側面が見えてきます。以下、2017年12月4日に日本経済新聞社の新聞に掲載されたデータを参考に載せたいと思います。


(出典:日本経済新聞)

6 海外から見た日本の中の東京

 
世界の都市総合ランキングから、現在の東京が世界から見てどの様な位置にいるかを客観的に把握する事が出来ます。一つは森記念財団年戦略研究所の「世界の年総合力ランキング」からの東京の評価です。

東京は3年連続で世界の第3位にランクインしました。この「世界の都市総合力ランキング」は、国際的な44の対象都市が有する「総合力」を経済、研究・開発、文化・交流、居住、環境、交通・アクセスの6分野で評価してランキングを発表しています。

2018年の総合ランキングは、7年連続でトップを獲得したロンドンです。EU離脱問題で揺れる政治問題後も勢いを低下させる事なくトップを維持しています。2位に付けたのは経済分野で圧倒的スコアを得ているニューヨークでした。


(出典:森記念財団 都市戦略研究所)

7 これからの東京に想いを込めて

未来の東京はどのような夢を描いているのでしょうか。今は様々な政治の問題や経済の先行き懸念等が取り沙汰されていますが、明るい新たな時代を想像せずには、より良い将来がやって来るとは思えません。

あらゆる問題が山積している現代だからこそ、産業革命のような人々の生活を一変させてしまう、社会の構造変化が訪れようとしていると感じています。

具体的には、自動運転の技術はすぐ目前まで進化しました。また、IoTの活用で身の回りのあらゆる物が遠隔操作で繋がろうとしています。今年は初の民間宇宙旅行に行く人物が日本人だと発表されて、話題となりました。

日本人が住む東京から、世界中の人が集まる都市への変貌を遂げようと、今まさに地殻変動が始まっていると考えています。新しい東京は将来、どのような顔を覗かせてくれるのでしょうか・・・。

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